大学の情報環境整備から学ぶ「利用の仕組み」の実装

まだ大阪で大学教員をしていたころ、情報センターの副センター長としてセンターの運営、学内LANとノートPCを活用した教育システム、ニュージーランドの語学研修校とのテレビ会議システムの構築に、図書館長として図書館の電子化の構想などに携わった。教務部長、学生部長としてカリキュラム運営にも関わり、2004年に開設されたコミュニティビジネス学科のカリキュラム編成にも参画した・・というか、カリキュラム編成に関してはほぼ一人でやった。1990年代後半、大学にLANやノートパソコン、電子図書館、テレビ会議を導入することは、現在のクラウドや生成AI導入に近い先端的な試みだった。

当時はまだ30台の前半。能力に見合わぬ役職を背負って目の前の仕事をこなしているだけの日々だった。しかし、今になってふり返ると、この時期の活動は社会実装の重要な原型を認知する時期であった。新しい機器や通信回線を導入することと、それが教育の質を変えることは別の課題である。技術は設置した瞬間に価値を生むのではなく、授業、教材、教員の役割、学生の行動、運用ルールの中に組み込まれて初めて機能するということを実体験したのだった。

インフラ導入と実装の間にある四つの層

教育現場への技術導入は、少なくとも四つの層に分けて考える必要がある。

  • 第一は、ネットワーク、端末、認証、保守などの基盤
  • 第二は、遠隔授業、情報検索、共同制作などの利用場面
  • 第三は、それを使いこなす教職員と学生の能力
  • 第四は、時間割、評価、著作権、情報セキュリティ、予算などの制度と運用

である。

失敗する導入では、第一層だけが整い、「何に使うか」「誰が支えるか」「使った結果をどう評価するか」が後回しになる。すると端末は配られても授業設計は変わらず、利用率の低さを利用者の意欲不足で説明することになる。実装の責任を技術利用者へ転嫁する典型である。

ふり返って、私が情報環境とカリキュラム運営の双方に関わったことの意義は、技術と教育を別々の専門部署に閉じ込めなかった点にあると言える。社会実装には、設備担当と教育担当をつなぐ役割が必要になるということを体感したのだ。

技術の価値は、利用者の行動変化で測る

学生の語学研修で提携していたニュージーランドの彼時とテレビ会議システムを導入したこともある。ただ、それ自体は成果ではない。海外研修先との距離を越え、学生がどのような対話や学習を行えるようになったかが成果である。その観点から言うと、このプロジェクトは実装まで進まなかった悪い事例である。電子図書館も、資料を電子化した件数だけではなく、必要な情報へ到達する時間、授業での活用、教員と学生の調査行動がどう変わったかで評価すべきだ。これも、構想レベルでとどまった苦い思い出であり、今でも赤面を禁じ得ない。

一方、今日の教育DXでも同じ問題が繰り返されることもあるように見える。オンライン授業の実施率、学習管理システムへのログイン数、AIツールの契約数は、導入状況を示すが教育価値を保証しない。学習者が問いを立て、情報を比較し、他者と知識をつくり、振り返って改善できるようになったかを見なければならない。

そこから考えを進めると

社会実装のKPIは、技術の稼働ではなく、利用者が以前できなかった行動を持続的に行えるようになったか

に置く必要があるという結論に至る。

先端技術には「翻訳者」と「伴走者」が要る

技術の専門家は、できることと制約を知っている。教員は、学生のつまずきや授業の文脈を知っている。学生は、実際の使い勝手と学習上の不安を知っている。これらの知識は同じ場所に存在しない。そのため、導入初期には異なる知識を結び、試行結果を次の設計へ翻訳する人材が必要になる。

この役割は、単なるヘルプデスクではない。利用者の要望をそのままシステム仕様へ変換するのでもない。教育目的を明確にし、技術の可能性と制約を踏まえて、授業・運用・支援体制を組み直す「実装コーディネーター」である。

小さな実践をカリキュラム全体へ広げる

自分の会社を立ち上げた2010年代、私は、大学向けにACD(Active Curriculum Development)を提唱した。個別の授業をアクティブラーニング型へ変えるだけでなく、診断、試行、教員研修、カリキュラム全体の自己改善へと段階的に広げる考え方である。1990年代の情報環境整備と、後のカリキュラム開発には、共通する発想がある。それは

先端的なツールを孤立した「特別授業」に閉じ込めず、組織全体が学習し続ける仕組みにする

ことだ。

生成AI、学習分析、VR、遠隔実験など、教育技術は今後も更新される。個々の製品寿命は短い。だからこそ大学が獲得すべきなのは、特定ツールの操作法だけではなく、新技術を教育目的に照らして試し、評価し、運用へ組み込む能力である。教育DXの社会実装とは、機器を導入する事業ではない。大学自身を、技術とともに学習できる組織へ変える事業なのである。

生成AI導入を教育実装として設計する

現在の大学で生成AIを導入する場合にも、同じ四層で考えれば

  • 基盤層では、契約、認証、ログ、入力禁止情報を整える
  • 利用場面では、文章の代筆ではなく、論点整理、反例探索、コードの説明、学習者自身の推敲など、教育目的に沿う用途を選ぶ
  • 能力層では、出力の検証、出典確認、プロンプトの記録、AIを使わない判断を教える
  • 制度層では、課題ごとの利用条件、申告方法、評価、著作権、不正への対応を定める

という整理になるだろう

最初から全学一律にせず、数科目で仮説を置いて試すとよい。「AIを使うとレポートが良くなる」では粗過ぎる。「初稿への批判的フィードバックに使うと、論拠の修正回数が増える」といった観測可能な仮説へ変える。教員の採点時間、学生の検証行動、誤情報の発見率、学習格差も同時に測る。

試行の記録は、禁止事項を増やすためだけに使わない。学生がどこで助けを求め、どの説明で理解し、どの課題では依存が強まったかを、授業設計の改善へ戻す。教育DXで蓄積すべき資産は、製品固有の操作マニュアルより、新しい技術を教育目的に照らして選び、試し、評価し、ルールを更新する大学の能力である。

調達時には、現在の機能だけでなく、データの移行可能性、教材とログの持ち出し、他製品への切替費用も評価したい。教育目的より製品仕様が長く残る「ロックイン」を避けることも、大学が学習能力を維持するための実装条件である。

大学での取り組みを事例にしたので、大学での実装の話に終始した感があるが、地域や社会への科学技術の実装でも重視すべきことは同様である。

導入される技術そのものではなく、それによって誰にどのような行動変容が起こり、社会のシステムがどう変化するか

それを評価指標として実装計画を設計し、実行することが求められる。その事例として受け止めていただきたい。