西粟倉村(岡山県)の地方創生推進班による「地域のシステム変革(Regional Systems Change, RSC)」プロジェクトは、上記のアプローチを体現した事例と言えます。2017年から4年間にわたり、村役場の若手職員を中心に地域づくりの研修と実践が行われ、村全体に少しずつ変化の波が広がりました 。写真はプロジェクトのワークショップの様子ですが、職員や外部からの参加者がテーブルを囲み、多くの紙資料や付箋を前に活発に議論しています。こうした場から数多くの「ネタ」、すなわち地域課題解決のアイデアが生み出されていきました。
プロジェクト初年度(2017年度)、西粟倉村では「テーマワーキング」と称する研修型ワークショップが開始されました 。これは、地域おこし協力隊が取り組む研究テーマを考える名目の場でしたが、実際には職員が自ら企画を立ち上げ予算化するプロデューサー型職員へと成長するための実践トレーニングでした 。
第1回のワークショップでは「機能拡張」というテーマのもと、自分たちの役割を広げて考える視点が提供され、わずか1ヶ月で18ものプロジェクトの種(研究テーマ)が職員から提案されました 。ここで生まれたアイデアの多様さこそ、組織の適応力の源泉です。実際、「ネタがたくさんある組織は、世の中がどんなに変わっても次の生き抜く新しいネタを生み出せます」が、逆にネタの少ない組織からは新しいものが生まれにくいとされています 。西粟倉村の取り組みは、まずこの「ネタ」を徹底的に増やすことからスタートしました。
2018年度以降、こうして生まれた複数のテーマを実際の事業プロジェクトとして形にしていく段階へと進みました。スローガンは「決めて、やる」。職員自らが選んだテーマについて、小さくてもいいから実行に移し、結果を検証し、また改善するというサイクルを回し始めました 。このプロセスは計画通りには進まない非線形な試行錯誤でしたが、そこから学ぶことで職員一人ひとりの実践力が着実に向上していきました。さらに同時期、村では将来ビジョン「生きるを楽しむ」を掲げ、福祉・教育・産業など様々な視点で地域の将来像を語り合う場も設けられており 、職員は所属部署の枠を超えて地域全体を捉える思考を養いました。こうした多面的な学習環境(知の注入と探索)は、まさに複雑適応系における「エネルギーや新しい情報の注入 」にあたり、職員の視野とネットワークを広げる原動力になりました。
プロジェクトの中盤(2019年度頃)になると、最初の研修を経た一期生の職員たちは生み出したプロジェクトの中から特に有望なものを「シンボルプロジェクト」として絞り込み、重点的に推進しました 。シンボルプロジェクトとは、その時点で最も実現性が高く、かつ村の将来ビジョンに合致した核となる事業です。
18の案の中から「これは村の旗印にふさわしい」という企画を選び出し、皆でリソースを集中投入する一方、他の案は一部を休止したり民間に委ねる判断を行いました。この淘汰と選択のプロセスによって取り組み全体にメリハリがつき、限られた人員でも確実に成果を出せる体制が整えられていきました 。同時に、外部から新たに二期生の若手職員や地域おこし協力隊員、起業家志望のローカルベンチャースクール生といった新しいエージェントの受け入れも始まりました 。村に移住してきた意欲ある人材をプロジェクトに巻き込み、役場職員との協働を促すことで、組織の境界を越えたネットワークが形成されました 。役場内プロジェクトでありながら組織の内外が混ざり合うように仕向けたことで、プロジェクト推進に必要なリソースを柔軟に集められる体制が生まれ、結果として二つのプロジェクトが正式に法人化されるまでに育ったのです 。

こうして誕生したのが、地域の子どもたちの主体性育成を目的とする一般社団法人Nestと、地域資源と企業・大学の研究者をマッチングして最新技術の社会実装を図る一般社団法人西粟倉むらまるごと研究所です 。前者は村の教育プロジェクトから派生したもので、多様な人との出会いを通じて子ども達の「生きる力」を育む活動を展開しています。後者はオープンデータ化した村の資源情報を基に、外部の知見と地域ニーズを結びつけるプラットフォームとなっています。いずれも、プロジェクトの進展に伴って行政組織の外に生み出された新たな担い手であり、地域内外のネットワークを繋ぐハブとして機能し始めています。
プロジェクト最終年度(2020年度)には、二期生の職員たちが自ら立ち上げた新規プロジェクトの仮説検証と正式化に取り組みました 。この段階で重視されたのは、行政がすべてを抱え込むのではなく、如何に住民や民間に主体を引き渡すかという点です。例えばこの年に生まれた「やってみん掲示板」は、あえてアナログな掲示板を村内に設置し、「こんなことを一緒にやってみませんか?」という呼びかけを誰でも貼り出せるようにした仕組みです 。ICT全盛の時代に逆行するようですが、顔の見える関係性を作り出すこの手法は「人とつながって何かをしたい」という村民ニーズにマッチし、行政の関与や新規予算なしでも回る「手離れのよい」仕組みとなりました 。
職員たちは当初「自分起点のプロジェクト」に戸惑いもあったものの、住民や外部の知恵を積極的に取り入れながらプロジェクトを推進し、必要に応じて役場がサポートする体制を整えました 。結果として、行政が直接動かずとも地域が回るしくみがひとつ形になったのです。このように行政が一歩引き、地域が主体となる場を作る**ことは、職員の業務負担を減らすと同時に地域住民の力を引き出すことにつながります 。西粟倉村の例は、自治体支援のゴールが単なる事業完遂ではなく、地域が自律的に走り続けられる状態づくりにあることを示しています。